スタディツアーに参加して

「バングラデシュに行って」
道越彩花(金城学院大学2年)

02tour04-01

私は学生ボランティア団体CHILEに所属していて、かねてから行きたいと思っていたバングラデシュに行くことができました。いままで誰から聞いた情報よりも、実際に自分が見て肌で触れることの大切さにすごく気付かされました。行くまでは、途上国であるバングラデシュについて正直、同情の気持ちがあってかわいそうだなと感じていました。でもバングラデシュに実際に行ってみると人がイキイキしていて、かわいそうな国というよりも、この国は成長しているの段階なんだなというのをすごく感じました。村に行ってみると、子どもたちもすごく一生懸命に学んでいて、その姿に私自身、学ばされることがたくさんありました。ベンガル語を話すバングラデシュ人としての誇りを誰もが持っているし、生活がままならない状態であっても日々の生活に幸せを見出している姿を見ると、心を打たれるものがありました。

バングラデシュに行くと決めるまで、親の反対もあってなかなか決断できませんでした。私の考えでは、現地に行かなければ実際に支援として何が不足しているのか、何が必要とされているのかが分からないのではないかと考えていました。しかし、私の両親はなぜ行く必要があるのか、高いツアー料金を払ってまで行くことが本当にバングラデシュのためになるのか、ツアー料金を払わずにその金額を寄付したほうがいいのではないかと、言われました。私は、両親に反対されて初めて、実際にバングラデシュに行くことの意味や、バングラデシュにとって私は何をしたらいいのかというのをすごく考えました。初めは反対されてすごくショックで、なぜ自分の言っていることを分かってくれないのかと思っていました。しかし、実際に行ってみて反対された理由も徐々にわかってきて、もちろん外国だし日本とは治安の安定さも全然違うので、身の保証もない。ツアー料金を寄付せずにあえて自分が現地に行く意味はなんだろうとすごく考えさせられる2週間でした。反対されないままもし参加していたら、私がバングラデシュに行く本当の意味さえも分からないまま帰国していただろうと思うと、反対して私のことを心配してくれた両親に心から感謝しています。
もし、バングラデシュに行こうか迷っている人がいたら、絶対に行って欲しいです。時間がある学生さんは、特に今行って欲しいと思います。人生の中で本当に濃い2週間になると思います。私自身、バングラデシュに行ったことに後悔はないし、高いツアー金額以上のものが得られると思います。バングラデシュに行けたことは、私の人生の中での誇りです。また、時間が経って自分が人間として自立し、物事が判断できるようになったら、このツアーに参加したいと思います。学生ボランティア団体CHILEに入って、バングラデシュという国に出会えて、こうして肌で触れ合えたことが私の人生において大切な財産です。本当に行かせていただいた周りの人にも感謝しています。ありがとうございました。

(2014夏ACEFスタディツアー報告書より)

 

「バングラデシュで得た学び」
村早苗(立教大学4年)

02tour04-02

2年前、バングラデシュの活気と混沌と人々のおおらかさに魅せられ、完全にこの国の虜となった。大学2年生の私は、ツアーを終え“途上国の発展に持続的に関わっていきたい”という漠然とした希望を持ち、観光業で途上国と支え合おうと決心して就職先も旅行会社を選択した。ぼんやりとした人生観しか持たない私に将来の指針を与えてくれたこの国に今一度立ち戻って、“原点”を再確認したい。そんな気持ちからツアーに参加することにした。街に溢れるリキシャの波や、物乞いの人々、スコール、青空教室で学ぶ子ども達。目に飛び込む全てが新鮮で刺激的で、前回のツアーは興奮と高揚の旅だった。そして、今回のツアーもそれはそれは本当に楽しいものだった。と同時に、私としてはかなりの自省と後悔を伴う旅でもあった。

最も印象的で深く内省するきっかけになったのは、ネトロコナでの初日の騒動であった。私達が到着した夕方、前庭が埋まる程の沢山の子ども達と村の人々がBDPの事務所の前に集まっていた。私達は“喜んでくれるに違いない”と思い、各々持参したビーチボールや折り紙、シャボン玉などのモノを取り出した。そして、求められれば様々なモノを配り、せがまれてカメラで写真を撮り、Do you have a pen?と何度も聞かれよくわからないままペンを子どもに手渡した。その結果、子ども達の一部は“風船もう無いの?”“私には折り紙くれないの?”という要求しかしなくなり、手渡したモノは知らない間に持ち去られてしまい、力の強い男の子たちがモノを全て独占してしまい、何も遊ぶことのできない小さな子達で溢れてしまった。

これらの失敗は、“モノがあれば幸せだ”という現代日本の価値基準をそのままバングラデシュに持ち込んでしまったことが原因だと感じた。日本とは違う別の幸せの概念を持つこの国を、日本流の価値のモノサシで荒らしてしまった自分の軽はずみな行動を猛省した。“日本人はばかでやさしくて何でもモノをくれる人”という概念をバングラデシュの子ども達に植え付けてしまっていたらどうしようと、とても恐ろしくなったし、帰国した今でも大変な心残りとなってしまった。
ただ、この経験を経て“国際的に活動する上で、日本しいては自分の価値基準だけで安易に行動しない”という学びを得ることができたのは、このツアー最大の収穫でもあった。“モノを与えれば幸せ”という価値観に基づいて、途上国にハコモノを建築したり、校舎のみを寄贈したりする支援を、正義だと確信したまま日本はまだ多く続けていると思う。私は自らの失敗を通して、いかにモノに縛られた日本の幸福論が脆いかを実感することができたし、決して同じ過ちを繰り返さないと心に決めることができた。

この失敗から、私達のグループは “モノを使わない遊びをしよう”と決めた。言葉が通じない中で、モノ無しで遊ぶことはかなりの労を要するし頭を使うものだった。そのかわり、ロンドン橋やにらめっこ、ダンスなど言語やモノを飛び越えた深い交流を行うことができた。私達はこれらの素朴な遊びを通して、子ども達と本当のボンドゥ(友達)になれたのでは、と感じている。
バングラデシュは魅力に溢れている。少しずつ近代化していくこの国にいる沢山のボンドゥ達に会いに、またバングラデシュに行きたい。

(2014夏ACEFスタディツアー報告書より)

 

「助け合う喜び」
小海光(Wesley Foundation 合同メソジスト教会牧師)

02tour04-03

目をつぶると、緑一面にひろがった田んぼのあぜ道を はだしやサンダルばきの子ども達が走ってくる姿が浮かんで来ます。ネトロコナの風景です。ダッカから北に車で7時間ほど走ってついた田舎の村で, 2泊しました。そこでの生活は本当に質素で、トイレや電気はもちろん、水も井戸からくみ出します。そんな生活は、今では日本では考えられないようですが、私はとてもいろいろなことを学ばされました。生活が質素になればなるほど、お互いの助け合いが必要になります。井戸から水を汲んで使うには、1人ではできません。誰かが、だれかのために押し上げなければなりません。トイレの中で突然の停電になれば、誰かが明かりをわたしてあげなければなりません。いすがなければ譲り合い、でこぼこした田舎道を力車で行く時、上り坂やぬか道に来れば、力車から降りて歩いたり、時には一緒に力車を押したりしなければなりません。

日本では私達の生活は清潔で、便利で、物は豊富にあるけれども、何かを一緒にしたり、お互いに助け合う機会があまりにも少ないことにあらためて気づかされました。私達が、お互いを必要と感じ、お互いの存在に感謝することができなくなってしまっていると思うのです。だから、ネトロコナで、またバングラデシュで出会った人たちが、みなとても純粋に、私達の訪問を喜んでくれて、一緒にいすに座って授業を受けるようにと、席を空けてくれたり、質素な家の中まで手を引いて行って見せてくれたりと、私達が一緒にいることを素直に喜んでくれる姿はとても新鮮で、私をも幸せな祝福に満たしてくれました。本当の幸せは、物の豊かさや、便利さによるのではなくて、それを分かち合う人がいることだとつくづく思わされました。

今回のスタデイーツアーは、少ない人数での小さなチームだったそうですが、かえって7人それぞれの参加者とよく知り合える機会になり、また、朝晩の礼拝とシェアリングの時は、お互いから学び合えるとても良い時間になったと思います。

BDPの皆さんには、すべてにお世話になり、いつも笑顔で世話をしてくださったことに感謝です。スタデイーツアーはバングラデシュでの10日間だけではなく、実は日本に帰ってからも続いていて、私の周りの生活、日本の社会をよく見て、何が私にできるのかを考えていくというかたちで今も続いていっているのだと思います。共に生かされ、生きて行く事の意味と責任を思いつつ、これからのBDPの活動とACEFの働きを応援して行きたいと思います。すべての恵みを主に感謝しつつ。

(2014春ACEFスタディツアー報告書より)

 

「これから私がするべきこと」
矢野恵美(国際基督教大学1年)

  バングラデシュでの7日間、自分が生き生きしていた。よく笑い、よく歌った。泣き虫の私はバングラデシュで更によく泣いた。それは嬉しいときもショックなときもあったが、とにかく感情が強く自分に押し寄せ、頭で考えるだけでは処理できない体験がいくつもあった。「それがこのスタディツアーの狙いです」と船戸先生はにこにこしておっしゃった。

02tour04-04

準備会のとき、「”知る”ということは”愛する”ことを究極とする」という話をきいたが、バングラから帰りこれを自分なりに解釈することができた。”知る”という行為を考えるとき、3つのプロセスがあると考えられる。1つ目は”頭で知る”、つまり知識として何かを知るということ。2つ目は”心で知る”、つまり感情・感覚を伴って何かを知るということ。「バングラの子どもは目がきらきらしている」とか「スラムとはこういうもの」と、知識として知っていたものが、実際に子どもたちと接したとき、またスラムに行ったとき、強い感情とともに自分の中に残った。心で知るということは、その知識が自分のものになっていくということ、とも言える。ただの知識・問題だったことが、自分のこととして私にふりかかってきた。ここで3つ目のプロセスは”体で知る”つまり”知ったことを実践する”ことである。いくら知識が自分のものになってもそれを行動にうつしていけなければ意味がない。自分のものになった知識を他者のために還元していけることが、「”知る”=”愛する”」なのではないだろうか。

「知る」ということがいかにパワーを持ち、「教育」がいかに人間の可能性を広げる可能性をもっているか、それを自分のこととして知った今、私がまず実践するべきことは勉強である。バングラでの感情をもとに勉強に励み、その感情(疑問)の原因を学問的に追究したいと思う。”実践”は難しく常に課題であるが、ベストを尽くしたい。

温かい人たち、大自然に囲まれて幸せだった。そして神さまが共にいてくださるということを素直に感じられる日々でもあった。自分が何を感じ、自分はこれから何をするのか、常に自分とむきあえたのは「あなたはどう思うか」「あなたは何をするのか」という神さまの問いかけ、「人を生かしてくださる」神さまの存在があったからだと思う。このスタディツアーに参加したのは20代をどう生きるべきかという問いのためだったが、神さまは「勉強」という具体的な課題と、もう1つ大きな答えをくださった。よく歌って大好きになった歌の歌詞、”Seek Ye First the Kingdom of God and His Righteousness”である。神さまの視点で本当に大切なことは何かということを問い続け、「人を生かす」人を目指していきたい。最後に、スタディツアーに参加させてくれた両親、ACEFとBDPの皆さん、神さまに感謝して終わりにします。

寺子屋訪問スタディツアー体験記(第30回2006年春)